佐藤 茉利子
祝合格
東京女子医科大学に見事合格した佐藤 茉利子さんにウインダムでの日々のスケジュール、各科目の勉強方法、試験期間中の心境などを聞いてみました。
いまさら焦っても仕方がないし、試験本番はそれまでにやってきたことの「発表会」だと思っていたので・・・頑張ってきたのを見せればいんでしょと思って・・・(笑)。
英語が出来たと思った杏林が受かってなくて、その後は半泣き状態でした。
その後、岩手の一次は受かって、愛知の一次も受かったんだけど、どちらも進学するつもりはなくて、愛知の二次試験は棄権しました。岩手は正規合格出来たのですが、首都圏ではあまりいい結果が出なくてはっきり言ってテンパッテましたね。
特にそれまでと変わったわけではないのに、なんで受かったんだろうといった感じでした。
ただ、女子医は受かるだろうなとは思いました。数学は4問中3問半は出来てたし。
試験会場では、この中には現役の時の私みたいに出来ない人もいるんだと思っていました。みんながみんな出来る訳じゃないと。それよりもマンスリーテストの時と同じでいつも通りだと思えるように、ウインダムの人がいないか捜してました。毎回、試験の開始前は、高校の友達がくれたお守りや、母にもらったハンカチを握りしめて心を落ち着かせていました。
だんだんと登校する時間が早くなっていきましたね。
最初は8時ぐらいだったんだけど、秋ぐらいには7時半ぐらいになっていました。それで授業が始まる9時半まで自習して、授業を受け、4時に授業が終わって、それから休憩なしにすぐに自習を始めていました。
予備校でないと勉強が出来ないタイプなので、毎日、夜の10時まで残って勉強していました。
そう、ほとんど飲み物を飲まないようにして、トイレにも行かないようにしてました。なんて言うか、誰よりも自習室にいたかったんですね。誰よりも勉強してないと不安だったし
土日は、朝は7時半前にウインダムに着いて夕方の6時までいました。それで一歩も自習室から出ないみたいな感じで・・・。昼はチョコレートひと箱ですましていました。チョコレートもなんか糖分を補給するみたいな感じで・・・。
いつの間にか朝の掃除のおばちゃんと話をするようになり、あっ、そのおばちゃんは加藤さんと言うんですけど、朝7時半に遅れるとそのおばちゃんから、「今日は遅いわね。あの子はもう来てるわよ。」と怒られたこともあるんです(笑)。その後、合格してから何回か密かに会いに行ったんだけれど、病気で入院してしまったみたいで未だに会えずじまいです。
友達は作らないようにしてました。友達と初めて話したのも夏にやった合同面談の時でしたし、メアドを交換したのも日大の二次試験の前の二次対策の時が初めてです。それにウインダムに入学したときに、携帯の電話帳のデータは親以外は全部消したんですよ。遊んだのも姉と映画を見に行った5月のたった一日だけでした。
数学は好きで、式や流れをすぐに覚えられたので、復習は1回解けたら終了でした。
ただし、予習はしっかりしてました。
英語は苦手で、予習してもあまり出来なかったので、単語を調べたり、文章を訳すぐらいしかしなかったです。その代わり、復習はしっかりやりました。
長文にネックがあったけど、とりあえず先生の言うことをやりました。
授業で聞いたことをメモって、その後、まとめノートづくりをやりました。作っているうちに整理が出来て覚えていきました。
あれだけのものを作るとさすがに覚えますねー。そして、その分野の問題をその日のうちにやり、出来ないところはポストイットを貼りまくってました。
当初、第1回のマンスリーの時、校内に掲示される順位表にギリギリ名前が載ったので、
「こんな私でも名前がのるんだ~。よかったー。何とかなるのかなー。」
って思いました(笑)。
初めから最後まで、一度も点数が下がることなく点数が上がっていったのでうれしかったですね。そういった点で特に点数は気にしていました。
また、化学は1回目以外ずっと名前が順位表に載っていたのもうれしかった。数学は波があったけど、他の科目でカバーできて全体的にまとまりました。
これは橋本先生のおかげです。
すごいわかりやすかったし、ノートを作れって言って下さったのも先生でした。
私は、前に出来なかった問題が出来るようになったかどうかをすごく気にしました。やっぱり出来てないと悔しいし、悔しいと思えることが大事だと思います。
高校時代は本当に勉強してなかったんだけど、あんなに勉強したのは人生で初めてで、今やれって言われてもなかなか難しいかな。結局、自主的にやるかどうかだと思います。強制されてやったとしても、なかなか自分のものにはならないものですよね。
その点、ウインダムは授業や面談やテストやライバルを通してやる気をかき立てられ、勉強をさせてくれる環境だったので、自然と頑張ることが出来ました。